雑談

常体敬体入り交じり文の魅力を伝える

常体、敬体、というものを人生で一度も聞いたことがない、という人はきわめて少数派であろう。

万が一(いないと思うが……)知らない人のために説明しておくと常体は「~だ、~である」といった文章の書き方、敬体は「~です、~ます」といった文章の書き方のことである。

私も普段自分のブログを更新するときは敬体を使って「~ですよね?」「~だと思います」と書いているのだが、どうもこの敬体、という書き方には問題があるような気がしてならない。

それが無機質、固い文章になる、ということ。

普通は「~です、~ます」のような敬体の方が丁寧で柔らかい印象を与え、「~だ」といった敬体が固い印象を与えようと思われるのだが……

確かにその感覚は間違っていなくて、完全に片方に統一してしまうとどうも固くて、柔らくて、といった文章ができあがる。


そこで私が提案したいのが常体、敬体が入り交じった文章である。

どのような書き方かと言えば……まあこの雑談記事を読んでいただければ分かるかと……

私がこのような書き方を採用しようと思ったかを説明するのは、3月に大学で行われた集中講義までさかのぼる。


その集中講義、というのがまた一風変わったもので、授業の最後にレポートを書いて、その先生が開設したnoteのブログサイトにアップロードして完成、というものだっ
た。

通常レポートはすべて「~だ、~である」の常体を使うのが鉄則でございます。しかし、ブログサイトにレポートを書いて、それを公開する、ということなので、普段からブログを書いていた私は敬体を使って書いた方がよいのではないかと思ったわけでした。そこで私が先生に聞いたんですが……

「先生ー、これってですます調でかいでもいいんですか?」

「いいけど、ですます調で書くとかえって堅苦しくなるかもしれないよ~」

私はこの先生の言葉がいまいち理解できなかった。3日間の集中講義を通して、この先生が何となく変わり者で、常識的な考え方が通じない人であることは分かったのだ
が……どうにも納得できなかった。

「柔らかい印象を与えるために書いている敬体でかえって堅苦しくなる?」普段ブログを書いている私に取っては非常に考えさせられる疑問だった。

確かに自分のブログを見返してみると、敬体を使って、誰もが分かりやすい文章を書いていることには問題はないのだが、どうも機械的に情報を伝えているだけに過ぎなかったのだ。

そんなことを考えていいるとき、私はとある人の文章に出会ったのでした。


狂気のライター、patoさんである。私はpatoさんがspotに寄稿している記事を読んだのだが、それがまあ面白いこと。

patoさんの文章が上手なのはもちろんのこと、まるで自分もその体験をしているかのごとく、ぐんぐん引き込まれる。

そこで気づいたのが、一部敬体と常体を織り交ぜながら書いている、ということ。(本人にその意志がなかったのであれば申し訳ありません……)

実際にそこまで気をつけて執筆しているのか、明確な使い分け方があるのか、それは分からない。でも、そのpatoさんの独特な書き方があって世界観ができあがっているのは言うまでもない。


どうも常体には感情を込める能力があるらしい。そして、物事を客観的に見つめるときや揶揄する表現には敬体が使われるのではないか、そんなことを考えたのでした。

基本的にはどちらかに統一するのが文章の書き方であるが、この書き方も悪くないのかもしれない。書いている人の感情が文章で伝わりやすくなるのではないだろうか。

そんなことを考えたのでした。


嫌いな方にとっては読みにくいかもしれません。でも、普段私たちが会話をしているときに、常体、敬体のどちらかに統一することはあるでしょうか。

どちらにしても、個人個人の感情の込め方があるのではないかと思うのです。だったら、文章でもやってしまえ。私の思っていることをただ淡々と伝えるブログですから、新しくオープンさせたサイトの一角を使って、細々と書いていこうという所存でございます。


最後に私が今回触れたpatoさんについて一言。
調べればたくさん出てくるとは思いますが……まあ凄い文章を書く人です。

人によって好き嫌いはあるかと思いますが、はまる人はどんどん深みにはまるような、そんな魅力を持った方です。どうやったらこんな面白い文章が書けるものか……日々模索しながら文章を書いている次第であります。

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